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<<< 豊橋教会のルーツ |
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穐近宣教師ご夫妻の愛と犠牲
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豊橋教会のルーツは戦後真っ先に米国から来てくださった日系人宣教師夫妻の日本上陸に
由来する。穐近祐(あきちかゆたか)先生御夫妻だ。先生と呼ばれることを嫌うお二人をミスター、ミセスと呼ばせていただく。ミスターは2000年に96歳にて昇天。ミセスは1998年93歳にて昇天。
1919年ミスター15歳のとき農業移民の子として渡米。同じ日系のミセスと結婚。はじめに、ミセスがラジオのキリスト教番組で改心。その後、ミスターも大統領朝祷会を主催するアブラハム・ブレディー牧師を通じて改心。
二人は日本伝道への志をいだき、孤児院で奉仕活動。時代は第2次世界大戦に。敵国移民として扱われる立場。二つの祖国を彷彿させる。そんな折、M・Rディハーン博士のキリスト教ラジオ放送で二人のことが全米に紹介される。
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| 孤児院での先生ご家族
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「日本人のヤングカップルが宣教師として日本に帰国することになった。皆さん、この二人のために祈ってほしい。」
その放送を聞いた人から激励の手紙と献金の山。この戦争で一人息子を失った婦人からも。その献金全額で日本語訳の聖書を1万冊購入。半トントラック1台分。二人は大いに感激。
終戦を迎える。準備整ったかに見えたが米国政府は日本への出国を禁じていた。
状況は八方ふさがり。日本への道はすべて閉ざされていた。ある集会でミスターは2000名近くの聴衆の前で語ったことは聴衆を笑せた。ミスターは本気だった。
「米国政府は私たちを日本に出さないといいます。もし駄目なら、私は太平洋を泳いで日本に渡ります。」
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| 日本へ出発直前シアトルのUS移民館前にて
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そこで、ミスターは連合国軍最高司令官だったマッカーサー元帥に手紙をだす。
「親愛なるマッカーサー元帥殿 あなたがこの戦争に勝ったのではありません。主があなたに勝利を得させたのです。その主が私たちを日本に遣わし、主の福音をつたえさせようと望んでおられます。ですから私たちを日本に行かせて下さい。その途中の事もご配慮ください。 穐近 祐」
やがて、マッカーサーから直々の電報が届く。
「AKICHIKA APPROVED(穐近、許可ス)」
敵国移民だった彼らに許可が出た。この電報に激涙・・・
| 地下2階地上3階の教会堂を建設
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しかし、夫妻には15歳の娘と13歳の息子がいた。焦土と化した日本には子供を連れて行くことは禁じられた。彼ら二人を米国に残すことになる。周りからは「お前が日本に行くんなんて気違いだ。」この二人の子供との別れはまさに断腸の思い。ご夫妻の当時の思いを察するには忍びない。
ミスターミセス1947年10月サンフランシスコを出港。そして、横浜港に。日本上陸。将校のジープで東京へ。すべてVIP待遇。雑司が谷の旧菊地寛の邸宅を寄進される。ここからミスターミセスの日本宣教がはじまる。信ずるところ道は開かれる。ご夫妻をはじめ合衆国の名もなき人々の愛と犠牲。イエス福音教団として結実。
そして上陸35年目、豊橋教会は誕生した。ミスターは謙遜と聖潔をいつまでも忘れないようにと訴える。
※ 土方のおやじ 穐近宣教師物語へ
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